続けられる仕事ってなんだろう
こんばんは。おいもです
今日は就労体験に行ってきました。
いつもよりも内職のような作業が多かったのですが、その間に自分が苦にならずにできる仕事ってなんだろうなぁということについて考えました。
おいもは、人に比べてわりと単純作業が苦にならないほうかなぁと思っているのですが、
単純作業なら全部が得意っていうわけでもなさそうと思ったので、過去やってきた作業を振り返りながら、考えてみたいと思います。
また、「作業」以外の要因が関係しているのかどうかも気になります
回転寿司のキッチン
初バイトが回転寿司の裏方(作る人)だったのですが、
そこでの仕事は本当にお寿司を作ることだけでした(ほぼ)。
お寿司作りに付随する資材補充とかはありましたが、
だいたい忙しい&初バイトの人も多い職場だった(把握してくれてたっぽい)ので、あまり難しい仕事は任されず、ずっとお寿司を作っていました。
楽しかったポイントは
「お寿司が綺麗に作れたとき」
これにつきます。
おいもは、なんかそういう1個1個「すばやくきれいにできた」「これミスったから次気をつけよう」みたいに思いながら作るのが楽しかったです。
タイムカード切ったら即寿司!で以降ずっと寿司を作るだけなので、
時間を忘れて没頭することができるのもよかったかもしれない。
しんどいのは人間関係で、とある社員の人に理不尽に(勘違いで)怒鳴られるというトラウマがあり、それ以来怖くなってしまって(受験もあったし)やめました。
それ以外の人はみんなだいたい優しかったです。
ときどき分量をちゃんとできてるか?のチェックが入りますが
その時も怒られるとかじゃなくて、優しく教えてくれる感じだったのでよかったです。
↑の体験で、
自分は「ひたすら何かを作る」のわりと向いてるかもなと感じた。
最近の就労体験
今日は大まかに分けて
数をかぞえる・検品する・仕分ける・品出し・
などをしました。
品出しが一番楽しかったです。「お客さんに見えやすいように値札を貼る」とか、「どこに置いたら売れるかなぁ」みたいなことを考えるのが楽しい、ワクワクに一番近いと思いました。
実際に以前、自分が配置などを工夫した棚からお客さんが商品を手にとってくれていたのを見たときは嬉しかったです。
次に楽しかったのは「仕分け」かなぁと思います
自分の中で、効率のよいやり方、無理ないやり方を見つけるのがちょっと自由な感じがして楽だった気がします。
あと、こういう風にまとめたら後の人が見やすいかなぁと自分なりに考えて、資材の整理整頓をしたのも楽しかったです。
「検品」はそれ単体でずっとやったことはないのでよくわかりませんが、作業の中では楽にできるなぁという印象です。
考えたいのは、
-
「何か」の部分でモチベーションが変わってくるか
-
本当に向いてるのか
-
理想的な環境
こんな感じでしょうか。
1.「何か」の部分でモチベーションが変わってくるか
バイトでは「お寿司」でした。
お寿司を作るのが楽しい、と感じたのは、たぶん
・純粋に回転寿司が好きだから
・すぐにお客さんに渡るものだから(きれいに作った寿司で喜んでもらいたい)
こんな理由だと思いました
例えば、これが
小さな部品だったらどうなのでしょうか。
おいもの場合でいうと、楽しんでできるという自信はあまりないように思います。
それを、どう使うのか知っているものだったら、モチベーションは上がる気がしますが、例えばあまり使ったことのない機械の部品とかだと
「受け取る人が喜ぶ」図が思い浮かばなくてつらいかもしれないなと感じました。
画一的な作業ではなくて、
できれば自分の得意な部分が活かせるような内容だとハッピーかもしれないなと思います。
2.本当に向いてるのか
ここにきて?!という感じかもしれませんが・・・
周りの雰囲気 が、あまりにも「ルール重視」とか、いつでも社員さんが見張っているような状態だったら、私は「楽しい」と思いながら作業することはできないと思います。
3.理想的な環境
2.と若干かぶりますが、
つまりは「雰囲気」が一番大事なのではないか、と思いました。
そんな職場があるのかとか就労につながるのかとかは一旦置いといて^^;
理想的な環境を書いてみたいと思います。
・社員さんが、最初はしっかり教えてくれる
・作業中はわりと放っておいてくれる
(いつまでも見られてたり作業が終わるたびに指示されたりとかすると、「信用ないのかな」みたいに思って緊張してしまう)
=質問すれば答えてくれるけど、それ以外はほっといてくれる
・責任が大きくない仕事
・体力の要る仕事ではない
・あまり接客がない
こんな感じですね、、
雰囲気がいいとか悪いとかは、完全に個人の感覚ですが
よくよく考えると上で書いたような職場を基準としているのかもしれないなぁと思いました。
いったん自分が職場に求めることとか洗い出してみるとスッキリするかもしれないなぁと思いました。
ヒィ眠い!
ここまでお読みくださりありがとうございました。
それではまた〜
↑寿司を見る仕事
カウンセリングに通っていて感じること
こんばんは、おいもです。
今日はひさしぶりに(?)何もない1日だったので、のんびりこんびりとしました
スーパーに出かけるという散歩もしたのでよく眠れるといいなぁと思います
タイトルですが、今日はカウンセリングについて書いてみたいと思います。
皆さんは「カウンセリング」と聞くと、どんなイメージが思い浮かびますか?
敷居が高そう 意識高そう? お話し聞いてもらうところ
などでしょうか。
おいもはおおよそ5ヶ月前からカウンセリングに通っています。
カウンセリングに通おうと思ったきっかけは、心療内科では身体症状をお薬で抑えることはできても、自分が精神を病む原因である心の傷自体のケアはできないと感じたからです。
もともと良好とはいえない家庭環境でモヤモヤを抱えながら育っており、深刻な気持ち多めの子供時代だったのですが、そうした要因もあって2017年にうつ状態に陥ってしまったため、いいかげん自分のメンタルに向きあわないとまずいなと思いカウンセリングに通うことにしました。
通いはじめるまではやっぱり「カウンセリングって敷居高そうだな〜」とか、「意味あるのかな」など、わからないことが多くて敬遠する気持ちの方が大きかったです。
しかし、通うようになってよかったなあと思うことの方がずいぶん多いです。
初回〜最近までの気持ちの変化などをざっくり書いていきます。
第1回目
かなり緊張しながら、前日に書いた状況を説明したメモを持ってカウンセリングルームに向かう。
待合室にて、渡された用紙に症状や家族構成などを記入。
時間になると部屋に通され、担当のカウンセラーさんとマンツーマンでのお話が始まります。
心療内科で書いてもらった紹介状を渡し、現在の状況(身体症状や、長らく悩んでいることについて)を話しました。
初対面の人にいきなり自分の身の上や弱い部分をさらけ出すのは自分にとってかなり緊張するものでした。
カウンセラーさんは、悩みや考えを否定せずにただただ聞いてくれる。
わたしは、何か具体的なアドバイスをくれるのかな!と期待していたので、ただただ傾聴されると、なんだか壁にでも話しているみたいに思えて、逆に混乱した。つらいこと話すと涙と鼻水でぐっしょぐしょになってしまうので、「話し損じゃん」と思ったりもした。
気持ちの面で現状よりも楽になりたくて行ったのに、初回終了後はより辛くなるばかりで、しんどかった。「カウンセラー 合わない」とか「カウンセリング やめる」で検索をかけたりして、辛い思いをすることになるなら通わないほうがいいかも・・・と思っていました。
第2回目
前回、悩みを口に出したことですごく辛い気持ちになったことを話した。
若干、カウンセリングへの不信感がある状態での2回目となった。
今まで両親に自分の本当の気持ちを肯定された経験が少ないからか、自分のことを人に話すのはすごく勇気がいる。そのへんをわかってほしい、というようなことを伝えました。
「カウンセリング後、辛くなった」ということで、気持ちを落ち着ける動作(呼吸のマインドフルネス)をひとつ教えてもらってその日は終了しました。
第3回目
前回、辛い気持ちになったことを吐き出したことで、(カウンセラーさんに理解してもらえたため)カウンセリングへの不信感はなくなっていました。
他人と関わる時にどうしても「自分がいけないんだ」と思ってしまいがちであることを指摘されました。
第4回目
「すぐ他人の意見に振り回されて、自分が何をしたいのかわからない」という話をしました。
それぞれの項目について、メリット・デメリットをかんたんな表にしてみると考えやすいかもとアドバイスを受け、気持ちが楽だなと思うことをできるだけ重視したほうがいいと言われた。
第5回目
現実的な面で行動できてきていると言われました。
この時点で初回から2ヶ月くらい経っていて、たしかに少しずつ前に進めているかもしれないと思いました。
第6回目
ストレスへの対処について。
わたしが、
嫌な気持ちになって体が動かなくなった→「疲れているんだな」と認識して爆睡した→次の日気持ちがスッキリしていた
という話をしたところ、
「ストレスへの対処が適切にできているのでとてもよいと思う」とのことでした。
褒められるとやったぜ!となる。
第7回目
ここまで続けてみて、早寝早起きができるようになり、体調が安定してきたことに気がつきました。(カウンセリングの効果なのかはわからないけれど)
自分の中にいる人の人格は正しいのかな?というのが気になったので話してみた。
第8回目
やりたいこと・目標的なのがちょっとずつ出てきて、自分の中に自分全肯定マンがときどき戻って来るようになったという話をした。
とりあえず話した内容をメモしていた日までのレポートを書いてみました。
気づいたこととしては、おいもはなんか1つのことについて話したらカウンセラーさんの判断で次の回もその話題の続きを話すのかなぁとぼんやり思っていたのですが
話題が1回で完結することに驚きました。
次の週には前回話したことなどさっぱり忘れていることが多いし、カウンセラーさんもとくにつっこんではこない。
自分の中のモヤモヤにじっくりと向き合って1個1個倒していきたい自分にとっては未知の感じでした。これでいいのかなぁって思ったときもありました
でも、「(ちゃんと聞いてくれる)人に話す」というだけで、こんなに気持ちがすっきりするんだ!という驚きがありました。
以下メリットや、デメリットを書きました。
-
カウンセリングに通うメリット
「自分の感じていることが自分で把握できるようになる」
うつなどになるということは、どうしても体調や気分を無視して頑張ってしまいがちな部分があるのだと思うので、自分の感情をそのまま受けとる練習をできるといいかなぁと思いました。その練習として、やはり安全な場で人に話すのはもっとも効果があったなぁと感じています。
-
デメリット
価格が高い。
1時間7000〜8000円とかが多いかなぁ
場所によりけりですが、ちょっと通うのを考えてしまいますよね。
最初のほうは警戒心が強すぎて「本当に大丈夫やろか・・・」と思っていましたが、カウンセリングに通いはじめてよかったなあと今は思います。
「何を話してもいい」場があるのは、すごく大事なんだなぁと思いました。
とくに家庭環境などが理由で自分に向き合うことが苦手な人、
それが原因で日常に支障が出ている人などは
カウンセリング、行ってみてもいいんじゃないかなと思います。
これから行こうかなと思っている人の参考になっていたら幸いです。
ここまでお読みくださりありがとうございました^〜^
心療内科レポートはこちら↓
父親への感情はびみょう
こんばんは。
今日はカウンセリングに行って、帰ってきたところ
父親と連絡を取る羽目になりました
それがストレスすぎて、なんかモヤっとした気持ちになっています・・
小さい時から父はあんまり家にいなく、
母親から「父はダメな人間で散々困らせられた」というのを聞く、という状況でしたので
自分にとって父親という存在は「?」という感じでした。
父は私が幼少の時から怒鳴ったりイライラしたりすることも多かったので、決して「いい父親」ではなかったけれど、
「嫌な父親」だと言い切れるほどの情報が不足している感じがしました。
でも、ある程度育ってみて、色々なことがわかると
子供を産み育てるということの前に覚悟の足りない人間だったのかもしれないと思いました
母も父も、私の本当の気持ちを受け入れてくれるだけの度量はなかった。
そのことに思い当たると、ひどく不安で悲しい気持ちになります。
顔がパンパンになるほど泣いてしまう日もあります。
誰も自分の味方はいないのかなぁ、と思っていた。
何より、幼少の頃は、父と母の板挟みになって自分の存在を脅かされることが本当に辛かった。
子供の頃両親の間に立って子供なら考えなくてもいいようなことを考えさせられてきてしまいましたので
もうそういう作業はしなくていいんだよ、と自分に伝えてあげたいなぁと思いました。
若干身バレが心配ですが(笑)
今両親は離婚調停中で、いろいろ交渉中みたいです。
個人的には、やっとかよ!みたいな気持ちですが・・・
もっと早くそうしていてくれれば板挟みになって辛い思いをすることもなかったのになぁなんて、たらればですが思うときもあります。
父親への怒りはまだ全然ありますが、
父親はこれから父親がすべきことをするし、
自分はそことは距離を置いて自分にできることをやっていくので、何も問題はないかな、と楽に考えています。
普通につらいですが変な家庭に育って、
否応なくたっぷりと「普通とは違う視点」は養われたと思うので
そのへんはアドバンテージだと思うことにします^〜^笑笑
今日も感情のメモ書きになってしまいましたが、
お付き合いくださった方ありがとうございました。
それではゆったりよい夜をお過ごしください。
めかぶ
感じたことをどのように伝えるか
こんばんは。おいもです
今日は、お昼に姉と回転寿司に行きました。
今月2回目の回るお寿司楽しかったです。
最近は(初対面の)人と話す機会が増えてきて
でもなんとなく緊張してしまいます。
人と会話しているときは
「どう思われているかな」
「変じゃないかな」
と思っていて、帰ってからは
「私のさっきの発言で相手の人に嫌な気分を与えてしまったかもしれない」
「緊張しすぎてて相手の人に失礼だったかも」
などなど・・・
ボコボコと悩みが生まれてしまい、その度に自信をなくしてしまいます。
実際に他人から見て私の振る舞いが失礼だったかはわからない、もしかしたら特に問題はないのかもしれないのに
「もっとあぁしてれば・・・」とか
「ちゃんと考えればもっとうまくできたはずなのに」
みたいな後悔の念に苛まれます。
でも、今までの“実際には問題なかった”ことの中には
裏で細かい努力(計画を立てるなど)をしていたから、問題なかったということもあったんじゃないかなと思って少し怖くなってしまいます。
でも、人間関係とかは、もし裏で努力?をしても
そうすぐにうまくいくものではないので
(そういう問題じゃない気がする)
自分は会話とか、コミュニケーションをとることにはスピードが必要とされるなぁっと思っていて、大体の人が会話で用いるスピードについていくことが難しいなぁと感じています。
そのため、ふにゃふにゃした回答しかできない自分に、焦りを覚えることがよくあります。
あとは、何かをごまかして話す(言いにくいことをオブラートで包んで話すなど)というのがすごく苦手で、いつも率直な言い方をしてしまいます。
自分では、誤解を招きかねない発言だな、というのはわかっているのですが、
返事をすぐにしなきゃという焦りから、考える時間を省いて口に出してしまうので、結果としてちょっと失礼ともとれる言い方をしてしまうことがよくあります。
友達関係なら、「今のは否定的な意味じゃなくてこういう意味で言ったんだ、伝わりにくかったらごめん」と言い直せるけど
たとえば就職活動などでは、1回言ったことがそのまま評価につながってしまう感じがして
心の中で「違う・・・言葉足らずでごめん許してくれ〜」っとなってしまいます。
なんか、そこで弁明するのも空気的に違うっていう感じを感じてしまうのですが・・・
対策としては、あえて、
「自分の気持ちを伝えるのが苦手なので、ちょっと考えるのに時間をいただけますか」
とか聞いてみるのも手かもしれないなと今書いていて思いました。
実は、こう思っていて、
こうしたいなと思っています。
という意思が、自分の中では当たり前に把握していることだとしても
相手は私が伝えたぶんの情報しか持っていないのだから、
ヘンに「自分のことなんて語ってもしょうがないよな」とか思わないで、
むしろ話をした方が良いよなぁと思いました
ここでも、自分の問題の核は
「自分なんて・・・」という、無意識のうちの自己卑下かもしれません。
今まで、「自分のことを話したら煙たがれる、自分の話なんて価値がなく人の話は聞いて相手を立ててあげるのがいいんだ」と学んでしまったことから、
なんとなくそういう「いい子」でいる癖がついているのかもしれないなぁと思いました。
もし、自分のことを話して
「今あなたのことはいいよ」と言われたら、
勇気を出して言ったのに聞いてもらえなかったら落ち込むかもしれないけど、
それは落ち込むべきことでもなんでもなく
ただそういう状況だったというだけだ、と思う。
それで、
自分は自分で「よく話せたね。頑張ったね」と褒めてあげたい。
本当のことをちゃんと伝えられたら、後の結果とかはおまけにすぎないかもしれない。
今日もお読みくださりありがとうございました。
それではまた〜
寝坊した&ありがとう
こんばんは。おいもです
今日は朝出かける用事があったのですが、寝坊してしまい、20分で支度するというかなりギリギリの状態になりました。
久しぶりの寝坊だったので、ちょっと焦りました。
最近はなぜか朝10時くらいまで寝れてしまうので少し困っています
毛布を出したからかな?汗
話変わりますが、
昨日のブログにたくさんの反応をいただきありがとうございました。
自分にとって大切なことを見つける作業は、かなり辛く感じられることもありますが
こうして考えていることをその都度ブログに書き、多くの人に見ていただいているおかげで、自分の内面に向き合うことが続けられているのかもしれないなぁと感じました。
自分のことを肯定するのは本当に難しいなぁと思います。
今までも何度も、「自分のことを肯定したい」というところまでは考えつくのですが
日常に追われる中でどんどんその決意は薄まっていってしまいます。
「自分を肯定する」を必死に追うことが正しいことなのかもよくわかりませんが
自分の心がのびのびとする瞬間に焦点をあてて、より楽しくなるように動いていけたらなと思いました。
今日はこの辺にしたいと思います^^
お読みくださりありがとうございました。
まだ早めですが、、おいももみなさんもすこやかに寝れますように
(明日はちゃんと起きれますように)
しあわせを受け入れる
こんばんは。
今日も内面を見つめて出てきたメモ書きです。
この前、この記事↓で
「今までの価値観が間違っていたことを認めなくてはならない」
というようなことを書きました。
私の中には小さい時の「寂しい」とか「悲しい」という気持ちを抱えたままの自分が住んでいて
その人に向かって「あなたがこの家で頑張れば認めてもらえると思っているのは間違いなんだよ」と言うのは、なんだかすごく酷なことだよなぁと思い、気にかかっていました。
でも、そうじゃなかったら真実に気づいた今の自分にも顔が立たないし
その間で板挟みになって苦しい状況が続いていました。
なんて言えばいいんだろう?子どもおいもを守ってあげるためにどういう風に接したらいいんだろう?
とわからなくなって、思い詰めているような状況が続いていました。
そんな時、以前カウンセリングを受けているときの言葉を思い出しました。
「おいもさんは、その頃の(漠然としたつらみを抱えていた小さい頃の)自分に対してなんて言ってあげたいですか」という質問に対して
「〜〜〜と言ってあげたいです」と答えると(なんて答えたかは忘れました)
「そうですか。もしかしたらその時の自分に、「頑張っているね」とも言ってあげたいかも知れませんね」
と、カウンセラーさんから言われたことを思い出した。
その時は、
「頑張っているっていったって、その頃の自分は間違った方向に頑張っているんだから、それを認めてしまったらダメなんじゃないかなぁ?」
と、思って、なんか違うよなぁと感じていました。
でも、子どもおいもに「あなたの行動は間違っているんだよ」というのも、どうにもしっくりこなくて、聞き入れてももらえないと思ったし、何よりいまの自分自身がそう思い続けることができませんでした。
「どうやって伝えたらお互いに気持ちが楽になるんだろう?」と考えてみたところ
今までは子どもおいもを「守らなきゃ」と思って少し切羽詰まった感じでいて、それは今の自分に気持ちの面で無理をさせてるし、しかもそれは子供といえど自分自身なのでバレてるなぁと思った。
いまの自分=子どもおいもの未来
なのだから、私が負担を負っている状況を受け入れてくれるはずがないのです。
「過去が間違っていた」と思うのは、何と無く心細く、不安な感じがする。
自分は、本当の気持ちを受け止めてもらう機会が少なかったから
母親の真似をして「それは違う」「間違っているから治しなさい」というふうに考えるのが癖になっているけれど
だからこそ一番大事なのは、今から私が子どもおいもにできることといえば
小さい時の気持ちをそのまま受け止めることなのかもしれない、と思い当たりました。
過去のことまで、いまの自分の考えに合わす必要はなかったんだ、とようやく気づきました。
そうすると、自然と「頑張っているんだね」という言葉が出てきました。
“親が私の精神を病ませた、愛情をくれなかった、私の気持ちを分かろうともしてくれなかった”
そんな恨みは底をつくことなく出てきます。
それらも、間違っていないとも思うし、自分が生きづらい原因を突き止めることは大事だと思います。
でも、それをわかってから
自分はもっとこのままでいていいんだ、と実感したい。
「私はこのままでは愛されない」「人を信じたら傷つくだけだ」
と決めたのは過去の自分自身だったんだ、ということに気がついて、それらを手放す努力をしていきたい。
私は、たくさんの愛とかやさしさをもらいながら生きていると思う。
気づかないだけで、自分のまわりには、
しあわせをくれる人やものが溢れている。
怖いかもしれないけれど、それを受け取る練習をしよう。
自分が自分として生きているだけで幸せが降りかかってくることを、甘んじて受け入れよう。
そんなふうに思いました。
行動を変えていくのは、書くのよりも数段難しいとは思うけど・・・
どうやって練習してくかは、また考えようと思います。
とりあえず夕飯を作ってきます!
ここまでお読みくださりありがとうございました。
ではまた〜