好きすぎるものは説明できない
こんばんは。おいもです
前回の記事では、苦手な人とのかかわりが自分に与えるものについて書いてみました。
↓
そこで、
「嫌いなことについては結構書けるな・・・
しかし、好きなこととなると、全然書けないな!」
ということに気付きました。
みなさんの場合はどうなのでしょうか?
たとえば、私でいうと、
〈昭和歌謡・70年代ごろのフォーク、ニューミュージック・そのほか変なコードとコーラスを多用する感じのバンド〉
の音楽を聴くのが大変に好きで、それらについて文章を書いてみようかな、と思ったりするのですが、全く上手くいかないのです。
それは単に自分の持っている音楽知識なり時代背景への理解が限られているから「書けない」と感じる、という時もありますが、
(音楽を聴くときに強い関心が向くのが、自分の感情が変化すること・またこの感情を作っている成分はなんだろう?!=歌詞やコードを調べる というところであり、歴史や音楽理論などは自分にとって二の次になってしまう)
好きすぎるものについて文章にしたものを見返すと、最終的に
「この音楽がかなり好きです」
の1行に要約できる、内容の薄いものになっている確率が非常に高いのです。
一人でテンション上がっちゃってる感じが出てしまうのです。
それでもいいと言えばいいのですが、自分がとても好きなものに対して書く文章は、なんというか、それを読む人に好きなものの良さがきちっと伝わるように書きたい!という理想が自分の中にあるのだと思いました。
その理想と自分の書く文章の拙さの解離に耐えられず、いつも書けないのだと思いました。
完璧主義がこういうところに出てしまいます笑
でも、自分にとって「神!!!」(言葉にするととても陳腐)というくらい好きなものは、その熱量のまま聞き手なり読み手に伝わって欲しくて、それができない限り、私が勝手に救われていればいいのだ、とおもうのです。
なので、好きなものについて人に説明したりするのが、壊滅的にできません。
音楽について書けないだけかな?
そもそも好きなものに接している間は、「なぜ好きなのか」とか考えないというのもあるかもしれないですね。
好きなもので、人に説明できるものを見つけたら、書いてみたいなーと思っています笑
なんだろう・・回転寿司とかならかけるかもしれない
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