うつ状態でどん底だったときの話
こんばんは。おいもです。
今日は、備忘録として
わたしが大学4年でうつ状態になり寝たきり・ドン底だったときの話を書こうと思います。
当時の感情をできるだけ思い出して書くのでちょっと暗い内容&長文(3000文字近くあります)になりそうです。
苦手な方はご注意ください;
就活をやってみた時期
2017年の春、わたしは自分の人生が、社会に出るための準備をする時期にさしかかったことを知りました。
3年次からインターンなどに通うしっかりした同級生を横目に、「やらなきゃいかんのだよなあ」という漠然とした思いが日常の中に浮かんだり消えたりする日々がすぎて行きました。
3月を過ぎると周りも就活の話題が多くなっていくのに、私は「いよいよなんだね〜」という、他人ごとのようなふわふわした気持ちで、どうしてもやるぞ!という前向きな気持ちになれませんでした。
重い腰をなんとか上げて、「こんなもんじゃろか」とESを書いてみたり例によって73分け・黒いスーツで説明会に参加してみたりしたのでした。
ものは慣れで、「私もみんなと同じようにやってくうちに何と無くコツとか掴むだろう」と思い、興味のある企業の説明会などに参加していました。
でも、自分にとって「就活」というフォーマットがすごくしんどいなあっという思いは消えませんでした。
【大学に入る=就活をする=社会に出て世の中のために働く】
入学した時点では、それは当たり前で、自分もなんだかんだ言いながらそつなくこなせるものだと思っていた。受験とかをなんとかクリアした今までみたいに。
でも、手を痛めて書いた履歴書や一生懸命考えた答弁がいとも簡単に「お祈り」という名で拒否されることが、自分自身がいらないって言われているみたいで、とてもつらかった。
私は「みんなが当たり前にできていることがなぜ私にはできないんだろう」「就活をやりたくないと思ってしまう自分は出来損ないなのではないか」などと次々に自分を責め、心にムチを打ってなんとか就活を続けようとしていました。
祖父との別れ
そんなことに悩んでいる矢先、祖父が亡くなった。
最期の瞬間に立ち会えたことは幸運だったと言えるかもしれないけど、70代で朝からステーキを食べ畑で作物を育てていた、いつも朗らかで元気だった祖父が徐々に弱っていくのを見るのは、かなりしんどいことでした。
祖父が生前私に語ったことは多くはないけれど、私は思った以上に祖父の存在に救われていたのだなあ、と悲しいことに祖父が亡くなった後に気がつきました。
もっと会いに行けばよかった、話をたくさんすればよかった、そんなありふれた後悔が自分の心を苛みました。就活のストレスも重なって、なんだかこの世から「お前もう死んだら」と言われているような気がした。死んだほうが楽でやさしい世界にいけるのかもしれないと。
人並みの生き方もできず、大切な人をきちんと大切にしてあげられなかった。そんな自分が生きている意味はあるのだろうか。そういうことを考え続け、毎日泣いた。
会う人会う人に「痩せたね」と言われた。自分では気がつかなかった。アルバイト中にも涙が出てくるようになり、これはさすがに恥ずかしいなあと思い、就活だと嘘をついて休むことにした。
引きこもるしかなかった
幸い単位はほとんど取れていて、あとは夏休み中に課題をネットで提出するだけだったので、留年の心配はなかった。
私は即席で食べれるものを大量に買い込んで、部屋に引きこもるようになった。そんな風になってしまった自分が情けなくて、でもこんな風になるまで助けてくれなかった母親にも腹が立って、コップを割ったり部屋のものを投げたりして家族を含めた誰からも逃げることにした。割れたガラスの破片で手首でも切ってみようかなと思った。痛いのは嫌だったからやめた。
その頃、本当になんのために生きているのかがわからなかった。
正直にいうとその頃の記憶があんまりない。外に出れないから朝からずっとベッドの中でゲームをやって夜になるのを待って、なんとか眠ってまた朝が来ていることに絶望する。窓から下を見て飛び降りたらいろいろスッキリするかな、と考える。食べても食べなくてもいいようなものをとりあえず体に押し込む。おいしいもうれしいもない、感情が見えない、もやのかかった世界にいた。
そういう日々が3ヶ月くらい続いて、耐え忍ぶうちになにかのタイミングで終わった。
動悸がとまらず心療内科へ
秋になり、徐々に外に出る機会が増えた。大学の友達とはあまり会っていなかったけど、学園祭の準備をするために学校に通わねばならなかったからだ。気持ち悪くなって2回くらい降りたりしながら片道50分の電車を1時間半くらいかけて行く事もあった。
自分を責める言葉に耳をふさぎながらベッドで寝たきり生活地獄をギリ抜けだし、「ものすごくがんばれば出かけられる」くらいにはなった。趣味の音楽が楽しいと思えるようになってきたのもこの頃だったと思う。
しかし学園祭を終えた頃に、はっきりとした身体症状が現れる。
緊張するような場面でもない普通の日なのに、全力で走った後のように動悸がする。それが、1日中続いている。
「さすがにこれはやばいのでは?」と思い心療内科に電話した。
1週間ほどして病院に行くと、気持ちを鎮める薬を出された。お医者の「まあやっぱり依存性はありますね」っていうのが怖くて帰りに寄ったおそば屋さんで泣いた。
生活に支障が出たからお医者に行ったものの、「この薬を飲んだら自分が自分でなくなるのではないか」などと考えてそれはそれで落ち込んだ。
今から考えるとお医者の言うことは聞いておくべきだと言えるけれど、その時はお薬が怖くてかなりちゃらんぽらんに飲んでいた。
心療内科に行ってからは徐々に外に出て、唯一楽しいと思える音楽制作に打ち込んだ。出かけなくていいときは家に引きこもっていた。
時々しにたくなったり、将来の不安を抱えたまま、卒業式までをそんな風に過ごしていました。
まとめ
うつ状態のときの比喩として「目の前が真っ暗になる」「色がなくなったようになる」などといわれますが、
ほんまそれ・・・
となりました。(語彙力)
スッと表せるものではないのですね。
ただ、たしかにあの時期自分は、自分を「いらない人間」だと本気で感じていたし、「死んだほうがマシ」なんだと思っていました。それしか考えられなかった。
結論:
うつ状態になるのは易し、しかし、治り難し
一見、ちょっといいことを言ってる感じにしてみました笑
漢文風です
このブログを書いている間は当時のつらさを思い出して若干つらかったですが、書くことでまた見返して、
「自分の気持ちをないがしろにしないぞ」という自分への戒めになればいいな と思っています。
精神を病まないためにはどうすればいいのかな?と自分なりに考えていることについても近々書いてみようと思います。
長くなりましたが今日はここまでにします〜
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました( ´▽`)