苦手な人とのかかわりから得られるものを考えてみた
こんにちは。おいもです
突然ですが、はてなブログのみなさんは苦手なタイプの人にあった時どう対処・・・というか何を考えたりしますか?
わたしは最近、苦手なタイプの人と話す機会も多くなってきて、そういう体験は好きな人と話しているとき以上に自分にいろんなことを気づかせてくれるのかもしれないなあと思いました。
自分が「苦手」だと認識しているのだから、苦手なひとと関わるデメリットはわりとすぐに思いつきますよね。
たとえば・・・
・話が合わなくてイライラする
・自分を否定されたように感じて落ち込む
・自分の気持ちが相手に伝わらなく、イライラする
書いてみたら意外に「イライラする」で説明のつくものでした。笑
それはそうとして、一方で、苦手なタイプの人と話すメリットもあるのです。
それはズバリ
自分自身のことを知る機会を与えてくれる
ことなのではないか?と思ったのです。
自分の例をかいてみます。
わたしは、人に無性に腹が立つときがあります。何言われても腹たつ。「お前に何言われても聞く気ないで〜す」みたいになっちゃうときもあります。
(人に対してそんな風にはならん・・という懐の深い大人な方がいましたら、お手数ですが生温かく見守ってください)
ひとしきりイライラすると、そのうち
「なんで自分はこんなにこの人にイライラするんだろう・・・?」
という疑問が湧き上がってきます。
それが自分との対話をもたらしてくれる最初のサインです。
たとえば、自分がとある施設の職員にムカついたとします。
いったい職員の人のどこにムカついたのか。
それがたとえば、
めんどくさそうに対応しているから
(書類の書き方の説明が不親切だったり、かいている間あからさまに{早くおわんねえかな}みたいなオーラ出してくる!!)(気のせいかもだけど笑)
だったとします。
「わたしはめんどくさそうに対応されるのが嫌なんだな」と気づきます。
とすると、もしかしたらわたしの中には、
「どんな仕事であろうと自分で選んだ仕事であれば真面目に、誠意をもって取り組むのが当たり前だろうが」
という強めの規律意識があるのかもしれない。
わたしの持つ若干の完璧主義な部分がこの人の波長と合わないのかもしれない、と考えることができます。
これだけでも大きなことですが、
つきつめて考えると、そのような「規律意識(こうしなければ!と思うこと)」をわたしは自分自身にも向けていることがあるかもなあ、と気づきます。
苦手だなあっと思う人の話はてきとーに受け流しておけばいいのに、突発的にそれができないのは、「自分自身が正しいと思うことを他人がしていないのが不愉快だから」という気持ちから起こっているのかもしれません。
今まで自分は、そういった規律意識というものとは無縁のずいぶんだらしない人間なんだと思い込んでいましたが(場合によってはとてもだらしない人間です)、深いところを考えてみると、自分自身が「こうしなければ!」でがんじがらめにされている人間なのかもしれないなあ、と思い当たりました。
自分では自分に優しくしているつもりでも、できていない。もっとがんじがらめから解放されて「だいたいでいいんじゃない」みたいなマインドを自分にもつことができれば、もうちょっと生きやすくなるかも知れないなあと考えました。
こんなふうに、自分の反応を通して隠れていた自分の性格や本当にすべきことが見えてくることが時々ある。
ムカついてる最中は考えてる余裕もないと思うので、そういうときは4秒吸って8秒はく深呼吸を小さくするようにしている。
ピークで怒りにまかせてどなったりすると、血流が大変なことになり3時間はその状態から戻らず結果的に老けるらしい(雑ですみません)、というのを何かの本で読んで、怒るのやめようって思った。
深呼吸を何回か繰り返したあとでもモヤモヤが頭から離れないときは、もう「なぜムカついたか」を深掘りすることが自分にとってはいい方法な気がしています。
深掘りする際の(自分なりの)ポイントは、自分の感情を偽らずに受けいれること。
「このとき、どう思った?」と自分に問いかけて、より強い感情のほうを選んでいくようにしています。
色々書いてみましたが、
苦手な人を前にして生まれるのは、
「ハァ〜どこをとっても苦手だなァ〜」という非常にしょうもない感想で、それはもうそのまま受け入れていったほうがいいのかな、なんて思います。
好きだな〜と思う人はどうしようもなく好きになってしまうし、嫌いな人はいつまでも嫌いだし。
ヨボヨボになって老人ホームとか入ったとしても苦手なタイプの人とかは必ずいるんだろうし、そう考えるとちょっと面白いなあっと思ったりしました。