おいもメンタル日記

日常や不安障害についてゆるゆると

しあわせを受け入れる

 

こんばんは。

今日も内面を見つめて出てきたメモ書きです。

 

 

この前、この記事↓で

oimomental.hatenablog.com

 

「今までの価値観が間違っていたことを認めなくてはならない」

というようなことを書きました。

 

私の中には小さい時の「寂しい」とか「悲しい」という気持ちを抱えたままの自分が住んでいて

その人に向かって「あなたがこの家で頑張れば認めてもらえると思っているのは間違いなんだよ」と言うのは、なんだかすごく酷なことだよなぁと思い、気にかかっていました。

 

でも、そうじゃなかったら真実に気づいた今の自分にも顔が立たないし

その間で板挟みになって苦しい状況が続いていました。

 

なんて言えばいいんだろう?子どもおいもを守ってあげるためにどういう風に接したらいいんだろう?

 

とわからなくなって、思い詰めているような状況が続いていました。

 

そんな時、以前カウンセリングを受けているときの言葉を思い出しました。

 

「おいもさんは、その頃の(漠然としたつらみを抱えていた小さい頃の)自分に対してなんて言ってあげたいですか」という質問に対して

「〜〜〜と言ってあげたいです」と答えると(なんて答えたかは忘れました)

「そうですか。もしかしたらその時の自分に、「頑張っているね」とも言ってあげたいかも知れませんね」

 

と、カウンセラーさんから言われたことを思い出した。

 

その時は、

「頑張っているっていったって、その頃の自分は間違った方向に頑張っているんだから、それを認めてしまったらダメなんじゃないかなぁ?」

と、思って、なんか違うよなぁと感じていました。

 

でも、子どもおいもに「あなたの行動は間違っているんだよ」というのも、どうにもしっくりこなくて、聞き入れてももらえないと思ったし、何よりいまの自分自身がそう思い続けることができませんでした。

 

「どうやって伝えたらお互いに気持ちが楽になるんだろう?」と考えてみたところ

 

今までは子どもおいもを「守らなきゃ」と思って少し切羽詰まった感じでいて、それは今の自分に気持ちの面で無理をさせてるし、しかもそれは子供といえど自分自身なのでバレてるなぁと思った。

いまの自分=子どもおいもの未来

なのだから、私が負担を負っている状況を受け入れてくれるはずがないのです。

 

「過去が間違っていた」と思うのは、何と無く心細く、不安な感じがする。

 

自分は、本当の気持ちを受け止めてもらう機会が少なかったから

母親の真似をして「それは違う」「間違っているから治しなさい」というふうに考えるのが癖になっているけれど

 

だからこそ一番大事なのは、今から私が子どもおいもにできることといえば

小さい時の気持ちをそのまま受け止めることなのかもしれない、と思い当たりました。

過去のことまで、いまの自分の考えに合わす必要はなかったんだ、とようやく気づきました。

 

そうすると、自然と「頑張っているんだね」という言葉が出てきました。

 

“親が私の精神を病ませた、愛情をくれなかった、私の気持ちを分かろうともしてくれなかった”

 

そんな恨みは底をつくことなく出てきます。

それらも、間違っていないとも思うし、自分が生きづらい原因を突き止めることは大事だと思います。

 

でも、それをわかってから

自分はもっとこのままでいていいんだ、と実感したい。

 

「私はこのままでは愛されない」「人を信じたら傷つくだけだ」

と決めたのは過去の自分自身だったんだ、ということに気がついて、それらを手放す努力をしていきたい。

 

私は、たくさんの愛とかやさしさをもらいながら生きていると思う。

 

気づかないだけで、自分のまわりには、

しあわせをくれる人やものが溢れている。

 

怖いかもしれないけれど、それを受け取る練習をしよう。

自分が自分として生きているだけで幸せが降りかかってくることを、甘んじて受け入れよう。

 

 

そんなふうに思いました。

 

行動を変えていくのは、書くのよりも数段難しいとは思うけど・・・

 

どうやって練習してくかは、また考えようと思います。

とりあえず夕飯を作ってきます!

 

ここまでお読みくださりありがとうございました。

 

ではまた〜

 

 

 

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