自己無価値感で生きていた時の話
こんばんは。
今日も考えたことのメモ書きです。
パソコンに向かったらうわっと出てきたので、抗わずブログ記事にしたいと思います^^;
アダルトチルドレンとしての感じが前面に出てると思うので、必要ない方にはただしんどい内容の部分もあるかもしれません。
今まで、おいもは
「自分にしかできないことを見つけなければならない」と思って生きてきたような気がします。
自分はもっと何かに秀でた存在にならなくては、と焦っていた。
その焦りは言いかえれば、「自分は今のままでは価値がない」ということでした。
小学生だったおいもは、
両親が怒鳴りあう中で「自分はいていいのかな」という不安を持たされた。
生活費を稼いだり、将来のことを考えたり、口論することで忙しかった両親は、私のそういう痛みには気がつかないままで、
おいもは「自分はいていいのかな」という答えを宙ぶらりんにされたままで、親からの愛を求めている以上、苦しい日々が終わることはなかった。
親が自分を見てくれない、という漠然とした悲しみがあった。
でも、「お母さんはお父さんからDVを受けて大変だったんだから、おいもの辛いのは我慢して、お母さんの言うみたいないい子にしていなきゃいけない」と思い
いろんな感情を無視してしまっていました。
幼少期に「本当の気持ち」を受け止めてもらえない環境で育ったことが、私に自分の価値を見失わせ、
「私はこのままではなんの価値のない人間なんだ」と感じさせた。
もちろん家庭の中でいい思い出もあるし、面白かった出来事とか、うれしかったこととかも思い出せます。
でも、小さいときのことを思い出すと
家族の中で「おいもはいじられキャラだから」とからかわれ、なにか間違えたり兄や母親の気に障るようなことをすれば怒鳴られるような状況を「これは私がいけないからだ・・・」と自分を責めつづけていたつらい日々が思い起こされます。
家庭の中でちょっとした「いじめにあっていた」とも言えるかもしれません。
学校では直接的ないじめにあったことはなかったのですが
「いじめ」についての文章や記事を読んだときに、何と無く「自分にも心当たりがあるつらさかもしれない」と感じていたのはこのためだったのかもしれません。
そういう家庭にいて、何か一つでもいいから自分の得意なことを見つければ、自分の存在価値が証明できると思っていたのかもしれません。
業績主義の母親、その期待に死に物狂いの努力で(おいもからはそういう風にみえた)乗っかった兄、
そのような流れを見ていて、
「ダメな自分」「からかわれていい自分」という価値観を壊すには、母親に認めてもらえるように努力しなければ ならないのだ、とおいもは自分自身に言い聞かせた。
「自分はただ生きているだけではダメなんだ」
この価値観が、今から5〜10年前の自分の当たり前だった。
今は、それは恐ろしい呪いみたいな言葉だなとおもう。
思考回路
自分はこのままではいけない
→自分は何か間違っている
→自分はいらない人間なんだ
→自分は無価値な存在だ
→無価値な存在なんだから人に嫌われてはならない
→人に好かれるような行動をしよう
→こんなこともできないなんて
→私は人に好かれるような完璧な人格でいなければならないのに
→
・怒りなど人に対してマイナスの感情をもつ自分を責めるようになる
・自分がなく、周りの人に合わせた行動しか許さない
→不安障害、抑うつ症状
こんな感じでしょうか
ずっとこの価値観で生きてきてしまって、
でも身体がNOというサインを出すほどになってしまって
そうなったら今までのが「間違っていた」ことを認めて新しく価値観を作っていくしかないよなぁと思って、カウンセリングやお薬に力を借りてなんとか立て直そうとしている。
なんとかまとめたい・・・
自分が無理しなければいけないと感じているとしたら、
それは自分ではなく、環境に問題があるかもしれない。
努力をするなら、「立ち去る・怒る・相談する」などの自分の心を守るための努力をしよう
???
かなり自戒ですが、、
もし共感してもらえたなら嬉しいです。
長くヘビーになりましたがお読みくださった方ありがとうございます。
それではまた!