独断と偏見で就活を思い出す
こんばんは。おいもです
今日は寒いですね〜
毎年使っている家着のはおり(モコモコしていて暖かいやつ)を出してしまいました。
いつもは12月以降とかなのですが・・・冬を乗り越えられるか心配です
最近は仕事や働くことについて考えています。
何度かこのブログにも書いていますが、おいもは就活の途中で精神的にもたなくなってしまって、体調と向き合って仕事を選ばないとこの先やっていけないなぁと思いました。
前もブログに書いたのですが、
おいもは就活の時期、かなり無理をしていました。
こちらのブログにそのときの話は書きました
↓
「大学を卒業したら就活して企業に勤めるしかないんだ」
「みんなと同じように絶対にそうするしかない」
というように、ピリピリした状態で
周りがやっているからという以外に自分が就活する意味を見出せないまま作業のように続けていました。
「就活」をやりたくないのに、「就活」に一生懸命になろうとしていました。
しっかりした目標のある人は、大学を選ぶ時点で就職のことを考えていたりします。
自分は、高校の時はおろか大学2、3年になってもその同学年の人たちが描いているような「就職」のイメージがまったく出てこないままだった。
周りのみんなが準備を進め始めているものに、自分はなんの興味も持てないし、そのためか就活のルール(何月に説明会が始まって選考が解禁されるとかの)にものすごく疎かった。
なのでその遅れを少しでも取り戻さなきゃと思って
「もうすぐ就活して社会に出るのだからそれなりの精神的な強さを身につけないとやっていけない」という思いで、無理して色々取り組んでみたのですが、
やっぱり焦りだけで始めたものに集中してやっていけるわけもなく、気持ちと行動の不一致から、落ち込みがちになってしまいました。
また、マイナビとかに書かれている言葉も全然わからないものがほとんどで、何を見たらその会社のよし悪しがわかるのかとか、そういうことで頭がぐるぐるしてしまって辛かったなぁと思いました。
「社会に出る」=「会社に入ってその一員として働く」
ということ自体が、なんだかあんまり腑に落ちていなかったし、これだけ大きな流れで「就活」というルールが使われるようになった利点も、私には思いつくことができなかった。
でも多くの人が「しんどい」とか「めんどくさい」と思いながらもやれていることがなぜ自分にはできないのかなと思って辛かった。
小学校から高校までは「勉強」で成績が決まり、次の進路が決まっていたからそういうのは慣れていたけど
(成績は別として勉強自体はそんなに苦ではなかった)
ここにきて急に「面接」とかになるのか〜と思ってなんか自分だけ引っかかったような気持ちがした。
学校で勉強をするのは無理なくできたけど、
そこから「企業に自分を売り込む」みたいなことになると、自分は全然できないんだなぁ、と思った。
そういう事実に直面するの自体がきつくて、
もちろん周りの人に「就活しない」といったってどうすべきかもわからないので、「違うんだよなぁ」「向いてないと思うんだよなぁ」と思いながら続けてしまったのだけど。
周りの流れに押し流されるようにして、崖のギリギリまできてしまったみたいな気分でした。
今までのことを書き出してみようと思ったらわりと長くなってしまいました。
ので、まとめにかかろうと思います。まとめられるかはわからないけど
就活をしていた時、おいもは「自分の本当に感じていること」から逃げて、目先の「就活」の流れに乗ろうと必死になっていました。
働くのはなんのためか?
という根本的なところを考えることから逃げていました
就活が始まっても
「こんな仕事がしたい」「こういう条件の会社で働きたい」などの明確な目標がなかったので
実感がともなわず、勢いだけで頑張るみたいな形になってしまった。
就活のやりづらさ・わかんなさはもしかしたら私だけではなくて、多くの就活生が感じていることかもしれないなぁと思います。
他の人と足並みをそろえるためだけに働くのはたぶんおかしくて、
まずは第一に自分の人生を考えるべきだったのかもしれないなぁとか思いました。
なんかまた深刻に考えすぎちゃうくせが出ているような気もしますが・・・
長くなり、また誰の役に立つんだ!みたいな内容で申し訳なかったです^〜^;
ので、むりくり結論をつけたいと思います
自分がムリなく(場合によっては楽しく?)できそうな仕事を、就職したことない人が見つけるとか、画一的な「就活」を押し進めるわりにはかなり無理ゲー!
いつになくスケールのでかい未確認生命体