おいもメンタル日記

日常や不安障害についてゆるゆると

寝坊した&ありがとう

 

こんばんは。おいもです

 

今日は朝出かける用事があったのですが、寝坊してしまい、20分で支度するというかなりギリギリの状態になりました。

 

久しぶりの寝坊だったので、ちょっと焦りました。

 

最近はなぜか朝10時くらいまで寝れてしまうので少し困っています

毛布を出したからかな?汗

 

 

話変わりますが、

昨日のブログにたくさんの反応をいただきありがとうございました。

 

自分にとって大切なことを見つける作業は、かなり辛く感じられることもありますが

こうして考えていることをその都度ブログに書き、多くの人に見ていただいているおかげで、自分の内面に向き合うことが続けられているのかもしれないなぁと感じました。

 

自分のことを肯定するのは本当に難しいなぁと思います。

今までも何度も、「自分のことを肯定したい」というところまでは考えつくのですが

日常に追われる中でどんどんその決意は薄まっていってしまいます。

 

「自分を肯定する」を必死に追うことが正しいことなのかもよくわかりませんが

自分の心がのびのびとする瞬間に焦点をあてて、より楽しくなるように動いていけたらなと思いました。

 

 

今日はこの辺にしたいと思います^^

 

お読みくださりありがとうございました。

 

まだ早めですが、、おいももみなさんもすこやかに寝れますように

 

 

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(明日はちゃんと起きれますように)

しあわせを受け入れる

 

こんばんは。

今日も内面を見つめて出てきたメモ書きです。

 

 

この前、この記事↓で

oimomental.hatenablog.com

 

「今までの価値観が間違っていたことを認めなくてはならない」

というようなことを書きました。

 

私の中には小さい時の「寂しい」とか「悲しい」という気持ちを抱えたままの自分が住んでいて

その人に向かって「あなたがこの家で頑張れば認めてもらえると思っているのは間違いなんだよ」と言うのは、なんだかすごく酷なことだよなぁと思い、気にかかっていました。

 

でも、そうじゃなかったら真実に気づいた今の自分にも顔が立たないし

その間で板挟みになって苦しい状況が続いていました。

 

なんて言えばいいんだろう?子どもおいもを守ってあげるためにどういう風に接したらいいんだろう?

 

とわからなくなって、思い詰めているような状況が続いていました。

 

そんな時、以前カウンセリングを受けているときの言葉を思い出しました。

 

「おいもさんは、その頃の(漠然としたつらみを抱えていた小さい頃の)自分に対してなんて言ってあげたいですか」という質問に対して

「〜〜〜と言ってあげたいです」と答えると(なんて答えたかは忘れました)

「そうですか。もしかしたらその時の自分に、「頑張っているね」とも言ってあげたいかも知れませんね」

 

と、カウンセラーさんから言われたことを思い出した。

 

その時は、

「頑張っているっていったって、その頃の自分は間違った方向に頑張っているんだから、それを認めてしまったらダメなんじゃないかなぁ?」

と、思って、なんか違うよなぁと感じていました。

 

でも、子どもおいもに「あなたの行動は間違っているんだよ」というのも、どうにもしっくりこなくて、聞き入れてももらえないと思ったし、何よりいまの自分自身がそう思い続けることができませんでした。

 

「どうやって伝えたらお互いに気持ちが楽になるんだろう?」と考えてみたところ

 

今までは子どもおいもを「守らなきゃ」と思って少し切羽詰まった感じでいて、それは今の自分に気持ちの面で無理をさせてるし、しかもそれは子供といえど自分自身なのでバレてるなぁと思った。

いまの自分=子どもおいもの未来

なのだから、私が負担を負っている状況を受け入れてくれるはずがないのです。

 

「過去が間違っていた」と思うのは、何と無く心細く、不安な感じがする。

 

自分は、本当の気持ちを受け止めてもらう機会が少なかったから

母親の真似をして「それは違う」「間違っているから治しなさい」というふうに考えるのが癖になっているけれど

 

だからこそ一番大事なのは、今から私が子どもおいもにできることといえば

小さい時の気持ちをそのまま受け止めることなのかもしれない、と思い当たりました。

過去のことまで、いまの自分の考えに合わす必要はなかったんだ、とようやく気づきました。

 

そうすると、自然と「頑張っているんだね」という言葉が出てきました。

 

“親が私の精神を病ませた、愛情をくれなかった、私の気持ちを分かろうともしてくれなかった”

 

そんな恨みは底をつくことなく出てきます。

それらも、間違っていないとも思うし、自分が生きづらい原因を突き止めることは大事だと思います。

 

でも、それをわかってから

自分はもっとこのままでいていいんだ、と実感したい。

 

「私はこのままでは愛されない」「人を信じたら傷つくだけだ」

と決めたのは過去の自分自身だったんだ、ということに気がついて、それらを手放す努力をしていきたい。

 

私は、たくさんの愛とかやさしさをもらいながら生きていると思う。

 

気づかないだけで、自分のまわりには、

しあわせをくれる人やものが溢れている。

 

怖いかもしれないけれど、それを受け取る練習をしよう。

自分が自分として生きているだけで幸せが降りかかってくることを、甘んじて受け入れよう。

 

 

そんなふうに思いました。

 

行動を変えていくのは、書くのよりも数段難しいとは思うけど・・・

 

どうやって練習してくかは、また考えようと思います。

とりあえず夕飯を作ってきます!

 

ここまでお読みくださりありがとうございました。

 

ではまた〜

 

 

 

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鍋が食べたい日

 

こんばんは。おいもです

 

今日はボランティアに行ってきました。

朝から怖い夢で起きたり、肩こりがひどかったり、あんまり気分がすぐれませんでした

+外に出ると、目がしょぼしょぼする・・・

 

気圧が上がっているのもあるからか、今日はちょっと体調が微妙だったなぁと思いました

 

帰りもいつものバスに乗り損ねたりと、ちょっと早く寝たほうがよさそうです^^;

 

ボランティアの時間が終わって、

ものすごくお腹が空いたので自分に「何食べたいですか」と聞いてみると

 

「だしで・・・お魚で・・・あったかいやつ・・・・」

 

とのことだったので、これは、鍋!と思い、でも一人分の鍋ってどうやればいいんだろう?

とよくわからなかったので

クックパッド様で調べようと思ったのですが、脳みそがかなり疲れていたため、調べるのも億劫になってしまいました。

 

ので、「鍋のような味がすればいいや」ということで、自己流で頑張ることにしました

 

だし汁を作ってからそこに白菜・人参・賞味期限切れの鯛(母が買って忘れていた?模様)・鶏むね肉・冷蔵庫にあった柚子の皮・豆腐

 

をぶちこんで煮たものを食べました。

結果、

「鯛」と「鶏肉」のおかげで求めていた鍋の味がしました。

 

料理と言えるのかわからないくらい雑な料理でしたが、味はとても美味しかったです。

これで1人鍋のやり方を覚えました。

ひとまずは疲れているなか料理(仮)をした自分を褒めたいと思います^^;

 

料理は体力使うのであんまり好きでないと思っていますが

食べる瞬間だけは楽しいですね、

元気のあるときにはもうちょっと丁寧に作ろうっと思いました。

 

 

今日もお読みくださりありがとうございました^〜^

 

それではおやすみなさい。

 

 

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自己無価値感で生きていた時の話

 

こんばんは。

今日も考えたことのメモ書きです。

パソコンに向かったらうわっと出てきたので、抗わずブログ記事にしたいと思います^^;

アダルトチルドレンとしての感じが前面に出てると思うので、必要ない方にはただしんどい内容の部分もあるかもしれません。

 

 

今まで、おいもは

「自分にしかできないことを見つけなければならない」と思って生きてきたような気がします。

自分はもっと何かに秀でた存在にならなくては、と焦っていた。

その焦りは言いかえれば、「自分は今のままでは価値がない」ということでした。

 

小学生だったおいもは、

両親が怒鳴りあう中で「自分はいていいのかな」という不安を持たされた。

生活費を稼いだり、将来のことを考えたり、口論することで忙しかった両親は、私のそういう痛みには気がつかないままで、

おいもは「自分はいていいのかな」という答えを宙ぶらりんにされたままで、親からの愛を求めている以上、苦しい日々が終わることはなかった。

 

親が自分を見てくれない、という漠然とした悲しみがあった。

でも、「お母さんはお父さんからDVを受けて大変だったんだから、おいもの辛いのは我慢して、お母さんの言うみたいないい子にしていなきゃいけない」と思い

いろんな感情を無視してしまっていました。

 

幼少期に「本当の気持ち」を受け止めてもらえない環境で育ったことが、私に自分の価値を見失わせ、

「私はこのままではなんの価値のない人間なんだ」と感じさせた。

 

もちろん家庭の中でいい思い出もあるし、面白かった出来事とか、うれしかったこととかも思い出せます。

でも、小さいときのことを思い出すと

家族の中で「おいもはいじられキャラだから」とからかわれ、なにか間違えたり兄や母親の気に障るようなことをすれば怒鳴られるような状況を「これは私がいけないからだ・・・」と自分を責めつづけていたつらい日々が思い起こされます。

 

家庭の中でちょっとした「いじめにあっていた」とも言えるかもしれません。

 

学校では直接的ないじめにあったことはなかったのですが

「いじめ」についての文章や記事を読んだときに、何と無く「自分にも心当たりがあるつらさかもしれない」と感じていたのはこのためだったのかもしれません。

 

 

そういう家庭にいて、何か一つでもいいから自分の得意なことを見つければ、自分の存在価値が証明できると思っていたのかもしれません。

 

業績主義の母親、その期待に死に物狂いの努力で(おいもからはそういう風にみえた)乗っかった兄、

そのような流れを見ていて、

 

「ダメな自分」「からかわれていい自分」という価値観を壊すには、母親に認めてもらえるように努力しなければ ならないのだ、とおいもは自分自身に言い聞かせた。

 

 

「自分はただ生きているだけではダメなんだ」

 

 

この価値観が、今から5〜10年前の自分の当たり前だった。

今は、それは恐ろしい呪いみたいな言葉だなとおもう。

 

思考回路

 

自分はこのままではいけない

自分は何か間違っている

→自分はいらない人間なんだ

→自分は無価値な存在だ

→無価値な存在なんだから人に嫌われてはならない

→人に好かれるような行動をしよう

→こんなこともできないなんて

→私は人に好かれるような完璧な人格でいなければならないのに

 

・怒りなど人に対してマイナスの感情をもつ自分を責めるようになる

・自分がなく、周りの人に合わせた行動しか許さない

 

不安障害、抑うつ症状

 

 

こんな感じでしょうか

 

 

ずっとこの価値観で生きてきてしまって、

でも身体がNOというサインを出すほどになってしまって

そうなったら今までのが「間違っていた」ことを認めて新しく価値観を作っていくしかないよなぁと思って、カウンセリングやお薬に力を借りてなんとか立て直そうとしている。

 

なんとかまとめたい・・・

 

 

 

自分が無理しなければいけないと感じているとしたら、

それは自分ではなく、環境に問題があるかもしれない。

努力をするなら、「立ち去る・怒る・相談する」などの自分の心を守るための努力をしよう

 

 

 

 

???

 

かなり自戒ですが、、

もし共感してもらえたなら嬉しいです。

 

 

 長くヘビーになりましたがお読みくださった方ありがとうございます。

 

それではまた!

 

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うさぎスリッパの思い出

 

こんばんは。

 

今日も良い天気でしたね^^

今日は冬に履いているうさぎのスリッパを洗濯しました

毎年なんともいえない微笑を浮かべながら、冬の足元を温めてくれています。

 

5年ほど使っていて、しっぽが取れたり毛羽立ちが目立っていてボロボロです。

洗って綺麗になるとさらに愛着がわき、捨てるタイミングがわからなくなってきました。

 

おいもはこのうさぎスリッパに、ものすごい愛着があります。

 

5年前の冬(たぶん)に最寄駅のビルに入っていた雑貨屋さんで見つけ、そのかわいさに心を射抜かれました。

後日、買いに行くと、欲しかったピンク色のうさちゃんの姿はそこにはなく、色違いのベージュ色のうさちゃんだけが残っていました。

ベージュのうさちゃんもかわいかったけど、どうしてもピンクのうさちゃんを諦めることはできず

ダメ元で店員さんに聞いてみたところ、時間がかかるが取り寄せができるとのことでした。

 

そして約2週間後に、待ちに待ったうさちゃんをお迎えすることができました。

なんでそんなに1つの買い物が印象に残っているのかはわかりませんが、

うさちゃんを取り寄せてもらって、受け取るまでのうれしかった気持ちをいまでも鮮明に思い出せます。

 

うさぎスリッパには、いろんな記憶がしみついている感じがして、履いていると自然にほっこりした気持ちに戻してくれます。

 

でも、もし最近でも同じやつが売っているのなら、そろそろ2代目うさぎにバトンタッチしようかなと考えています。

毎年足元を温めてくれているので、そろそろ働かせるのもかわいそうかもしれないなと思います。

 

冬はあたたかグッズがあちこちで売ってるので、個人的に楽しみです。

うさぎスリッパを超える激かわアイテムが現れるのを楽しみにしたいと思いました

 

寒い日が続きますがみなさんも(おいもも)風邪などに気をつけて過ごしましょう。

 

 

いつも🌟や読者登録などありがとうございます。

それではまた!

 

 

 

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飽き性・多趣味にんげんのぼやき

 

こんばんは。おいもです

 

今日も今日とて寒い・・・

お布団から出にくい季節がやってきましたね。

生活リズムを整えるために、昼寝はしないぞ!と決めているのですが、今日はどうしても眠くって久しぶりに昼寝してしまいました。

夜ちゃんと眠れるか心配です(恐怖)

 

プロフィール等にも書いていますが

おいもは飽き性?というか、1つ趣味をみつけても続かなくて、中途半端なところでまた別の趣味に目移りしてしまう傾向にあります。

そういう「中途半端な趣味」がいろいろあって、突きつめられたことがあんまりない気がします。多趣味とも言えないレベルがするなぁ

 

たとえば

 

7月読書にはまる読書に飽きる8月料理に凝る飽きる9月お絵かき飽きるマンガ読み始める飽きる・・・

 

みたいなループになっているような気がします。

ちなみに最近は、地味に料理??暇だと必然的にそうなります

 

いいところは

自分のしたいことを感じる練習になってる気がするという点で、

 

欠点としては

どの趣味にも詳しくならないので、極めることが難しいという感じな気がします。

 

自分飽き性だ・・・!と気づいたときは、すごいコンプレックスに感じました。

「これが好き」と言えるものがある周りの友達が、すごく羨ましかったり。

いろんな偉い人の言葉とかでも、「1つのものを極めるのが大事だ」という内容のものも多かったし

(おいもが中学の時所属していた運動部で教えられる基本的な姿勢にはそういう感じのものが多かったからかもしれない)

 

もちろん、音楽や読書はずっと好きで、趣味のループから外れたことがありませんが

その2つにしたって、自分は好みの幅が狭すぎてぜんぜん詳しくはないし

もっとそれらの分野に詳しくて「極めている」人はたくさんいるなぁと思います。

 

 

それで、何が書きたかったのかというと、

おいもはたぶん自分が「飽き性」だということに劣等感を持っているということです。

 

「飽き性」であるということ自体は、とくに何か悪いことでもないですが、

これまで自分のまわりにあった雰囲気によって、「飽き性なのは良くないんだ」と思ってしまったんだと思いました。

 

もちろん、何かに詳しい人や専門家や学者さんなどは、「これが好き」と思える部分を持って努力したからこそ1つのものに詳しくなっているんだろうなと思います。

それを世間にも還元してくれている人などを見ると、純粋にすごいなぁと憧れたり、ありがたいなぁと思います。

 

そういう憧れから、思春期のおいもは「自分はダメだ」と思いこんでいましたが

冷静になると、別に自分が何にも詳しくなれなかったからといって、困る人は一人もいないのです。

 

「趣味」なら趣味として、自分が満足しているならそれでいいのではないかなぁと、ふと思いました。

 

とくになんかストレスを抱えている人は、いかに自分の機嫌をとるかもかなり大事になってくると思う。

 

ストレスへの対処法も多い方がいいのなら、

「趣味が多い」のもそんなに悪いことではないかもしれないと思いました。

 

 

ここまでお読みくださりありがとうございました

 

寒いのであったかくして寝ましょう

 

 

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(先ほど腹出して寝てたため腹痛のおいもより)

 

 

 

 

自分基準でものごとを選びたい

 

 

こんばんは。

 

今日も1日家にいましたが、やらなくてはならないことを片づけたので、少し気分がスッキリしました。

 

前回の記事で、

就活のとき「自分が会社にどういう条件を望んでいるのかわからない」ことで悩んだ旨を書きました。

 

oimomental.hatenablog.com

 

そこで、自分なりに考えてみたのですが

就活するときって、だいたい職種業種から就職先を絞り込むと思います。

(おいもも興味のある業界を「イメージ」だけで絞り込み笑、説明会や面接に行ってました。)

 

その検討の仕方は健康な(心身ともに生きづらさのない)人にとっては、「やりたい仕事」に近づける効率的な方法なのかもしれないと思いましたが

日常に支障が出るレベルで対人関係にトラウマのある人とか、うつ傾向にある人とかが、同じようにやろうとしてもきっと無理があるのかな、と感じました。

 

そこで、うつを患っていたり、おいものように不安障害やら毒親持ちが日常に支障をもたらしている人は何を基準にすべきなのかというと

 

自分が無理なく続けられる

 

職場かどうかを見るのが一番大切なのではないかな?と思いました。

 

おいもが大学4年で就活をしていたときは

こういった観点から仕事を選ぶという発想がそもそもありませんでした。

 

ネットで募集を探すと

真っ先に目に入るのは堅い企業理念や社会への貢献度についてなどの、基本的な情報が多く、それは精神的なハンデを負っている人にとってはあまり参考にはならない気がした。

もちろん、そこに載っている企業理念にとても共感したとかだったら意味はあるのかもしれないですが

 

でも、これから就職する人向けの情報で知れるのはだいたい福利厚生や給料や離職率などであり、そこからおいもみたいな人が読み取れる有益な情報としては「残業は少ないか」「休みは取れるか」とかくらいかなぁ、と感じました。

 

!超個人的な解釈なので、「そんなわけないわい」と思われた方はそっとページを閉じてください・・・

 

就活って意外と交通費やらなんやらでお金かかるし、そんな少ない情報で全くの未経験の人が会社をピックアップすることに個人的には若干のむりみを感じました。

 

当時、おいもは大学の就職支援課にもハロワにも行かなかったため、そんな限られた情報で言えることではないかもしれないので、^^;

 

毒親持ちかつ働くことに苦手意識のある人が、ネットの就活サービスのみを見て思ったこと」

 

としてご覧ください・・・

 

 

それで、

「自分が長く働けそうかどうか」は、おいもが就活している間はどこを見ればいいのかわかりませんでした。

 

説明会でも「雰囲気がいいな」「あんまり合わないかもな」というのがわかるくらいで、

まして面接で会社の普段の雰囲気がわかることなんてまずないし

実際に研修とか体験とかしてみないと色々なことがわからないんじゃないかな?と思ってしまいました  

 

そのため、いまの就活のシステムには若干の疑問を感じているのですが・・・

 

まぁ、そういうルールになっている以上、あれこれ言っても仕方がない部分もあるかもしれないですね。

 

でもそのルールが自分に合わない、と感じたときに

そこから一旦降りてみる勇気と、

なんか別の抜け道みたいなものがあるといいなぁと思いました。

 

抜け道が見つかりやすければ見つかりやすいほど、(?)

葛藤している人は救われるのではないかなぁなんて思いました。

 

 

ここまでお読みくださりありがとうございました。

 

なんだか頭痛くなってきた・・・

寒いし気圧もちょっと変だし、すこやかに寝れるように祈ります

 

それではまた〜

 

 

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