おいもメンタル日記

日常や不安障害についてゆるゆると

どっちかって言ったら生きる

 

 

こんばんは。おいもです

 

今日は全体的になんとなく気分がふさぎがちでした。

そのため、今回のブログは自分の内面をメモするような内容になっています・・

 

ちょっと読む方の役にたつかはわからないしけっこうぐちゃぐちゃな文になってますが、今日のところはお許しくださいませ;

 

 

 

 

 

 

おいもは、わりと何事も悲観的に「自分のせいだ」などと考えるくせがあって

(そういう風になった経緯を自分なりに考察したものは下の記事で書いてみたので良かったら参照してみてください)

oimomental.hatenablog.com

 

 

その、自分で自分を責めている状態になってしまうと

「へこんでいるな」と気づけないところがやっかいだなと思います。

 

 

今日もそんな感じでぼんやりとした実態のない「不安の波」にのまれていた感じなのですが

 

ひとしきり「つらいなぁ」とか「自分が頑張らなきゃ」みたいな焦りになった後

 

 

でも結局、「つらい」と思っちゃうのっておいものせいなの???

 

という質問が出てきた。

 

いや、不安さんがうちにきてるからだと思うけど・・・

 

と返してみると

 

そっか。じゃあその不安さんがきたのはおいものせい?

 

・・・おいものせいじゃないなぁ

 

 

という自己Q&Aみたいなかんじになって、「おいものせいじゃなかったことを抱えていたんだ」と気づけた。

 

このように、自分の本音が急に変な場所から出てくるから、それをいちいち聞きながら生きるのってほんとにめんどくさい根気のいる作業だなぁっとつくづく思います。

 

聞かないで無理して生きていると、きっと体調を崩すし・・・

 

 

 

本音に気づくと、自分がすごく自由な生き方を望んでいることに気づいて、でもそれを今の状況からやれるような技術みたいなものが足りてない感じがして、何から手をつけていいかわからなくて(?)すごく辛くなる側面もあるので、

 

私はたぶん無意識に「自分の本心を聞く」ことを避けてる部分があると思った。

 

自分が本当はどう思っているのかを聞くのも、それを聞いて、現実と照らし合わせるのも、とてもつらい作業だから。

 

なんか本能で避けちゃうみたいな感じがある。痛いとわかっていることは自分からしないのと同じように。

 

本音を言っても取り合ってもらえなかった小さいときの記憶から、「自分の本当の気持ちは大事じゃない」「本心は隠さないと傷ついてしまう」とどこかで学んでしまった。

 

「普通に」「人に迷惑をかけないように」「みんなと同じように」

 

生きなきゃいけないんだなぁと思って、自分を押し殺すようになった。

傷つかないために「自分の気持ちをなかったことにする」くせがついてしまった。

 

そうするしかなかった小さかった自分のことを思うと、亡くなった人を思うのにも似た気持ちに苛まれる。

しかし悲しいことに、「自分を守るために、自分をないがしろにした」ところから、心の中の地獄は育ってしまった。

 

 

小さな時についてしまった癖を、治すのは本当に難しいことかもしれない。

 

 

でも、

 

子供の頃の私が感じたさみしかったっていう気持ちを癒しながらやっていけるのは私しかいないし、そういうやばい地獄のようなものをかかえているからこそ生きていることが大切なんじゃないか。

 

だいぶ余計に傷ついてきた&傷つきやすいというすでに遅れたスタートラインがあるのに、目標を他人と同じにするほうがバカだと思うし

むしろよく今までそれでやってこれちゃったなと思う・・・

 

 

つらいめんどくさい人やめたいのコンボ

でも本当の気持ちが出てきてくれると、嬉しさの方がずっと多い。

 

22とかなったのに感受性がバキバキでかなり生きづらい

 

死ぬときまで生きるくらいの目標でいいと思います。